雪が降っている....
ひらひらと舞い落ちてくる
まるで、白い花びらのよう
しんしんと降る雪.....
暖かく感じるのはなぜ?
それは、あなたのぬくもり
グレー色の街を染めてゆく
雪色に染めてゆく
まるで、白い真綿のよう
ガラス窓.....そっと、くちびる
あなたに届けてほしい
この思い....
雪は降りつづく.....
http://home9.highway.ne.jp/rienosuk/index-kokoro-yuki.html
ひらひらと舞い落ちてくる
まるで、白い花びらのよう
しんしんと降る雪.....
暖かく感じるのはなぜ?
それは、あなたのぬくもり
グレー色の街を染めてゆく
雪色に染めてゆく
まるで、白い真綿のよう
ガラス窓.....そっと、くちびる
あなたに届けてほしい
この思い....
雪は降りつづく.....
http://home9.highway.ne.jp/rienosuk/index-kokoro-yuki.html
暖かな春に似合わない
冷たい雨が降っています
小さな居酒屋で
あなたとお酒を酌み交わす
飲めない日本酒を
無理に口に運ぶあなた
何かあったんですか?
ただ、あなたは首を振るだけ
降りやまぬ雨
ひとつ傘のなか
ほろ酔い気分で
あなたはくちびるを重ね合わせた
わたしはあなたの傘になれるでしょうか。。。
冷たい雨が降っています
小さな居酒屋で
あなたとお酒を酌み交わす
飲めない日本酒を
無理に口に運ぶあなた
何かあったんですか?
ただ、あなたは首を振るだけ
降りやまぬ雨
ひとつ傘のなか
ほろ酔い気分で
あなたはくちびるを重ね合わせた
わたしはあなたの傘になれるでしょうか。。。
○○回目の誕生日を迎えた。
小さい頃は誕生日が来るたびに
大人に近づくことに喜びを感じていたが、
年齢を重ねるにつれて、
誕生日を迎えるごとに
それは死に近づくことであることに気付く。
決して、悲観している訳ではない。
人は誰でも、
この世に生を受けた瞬間から
死への旅立ちに出帆する。
時間というものは際限の無い概念ではあるが、
一個の人間が死しても、時は決して止まることはない。
一人の人間、否、
何十、何千、何万、何億という人が死に直面したとしても
「時」という時計は一秒の狂いも無く、時間を刻み続ける。
だからこそ、
この世に与えられた「生」という今のこの時間を大切に、
悔いることなく、精一杯生き抜くことが
この世に生まれた『人』の義務であろう。
病や事故で、生き抜くことが出来ない、
また、出来なかった多くの人達に対しても
『今』を一生懸命に生きてゆくことが
この世人の命題だと思う。
明日という日は誰にもわからないのだから。。。
小さい頃は誕生日が来るたびに
大人に近づくことに喜びを感じていたが、
年齢を重ねるにつれて、
誕生日を迎えるごとに
それは死に近づくことであることに気付く。
決して、悲観している訳ではない。
人は誰でも、
この世に生を受けた瞬間から
死への旅立ちに出帆する。
時間というものは際限の無い概念ではあるが、
一個の人間が死しても、時は決して止まることはない。
一人の人間、否、
何十、何千、何万、何億という人が死に直面したとしても
「時」という時計は一秒の狂いも無く、時間を刻み続ける。
だからこそ、
この世に与えられた「生」という今のこの時間を大切に、
悔いることなく、精一杯生き抜くことが
この世に生まれた『人』の義務であろう。
病や事故で、生き抜くことが出来ない、
また、出来なかった多くの人達に対しても
『今』を一生懸命に生きてゆくことが
この世人の命題だと思う。
明日という日は誰にもわからないのだから。。。
恋 作詩/作曲 松山千春
愛する事に疲れたみたい 嫌いになった理由じゃない
部屋の灯はつけて行くわ 鍵はいつものげた箱の中
きっと貴方はいつもの事と 笑い飛ばすに違いない
だけど今度は本気みたい 貴方の顔もちらつかないわ
男はいつも待たせるだけで 女はいつも待ちくたびれて
それでもいいと慰めていた それでも 恋は恋
たぶん貴方はいつもの店で 酒を飲んで管を巻いて
洗濯物は机の上に 短い手紙 添えておくわ
今度生まれてくるとしたなら やっぱり女に生まれてみたい
だけど二度とへまはしない 貴方になんかつまづかないわ
男はいつも待たせるだけで 女はいつも待ちくたびれて
それでもいいと慰めていた それでも 恋は恋
男はいつも待たせるだけで 女はいつも待ちくたびれて
それでもいいと慰めていた それでも 恋は恋
それでも 恋は恋
松山千春の「恋」という曲だが、
自分がカラオケで良く歌う曲である。
恋愛というのは「男と女」の一種の駆け引きである。
どちらかが、お互いを意識しなくなった時点で
その恋愛は終止符を打つ。
自分を愛してくれている女が、
どんな時にでも自分だけを見つめ、
待っていてくれるという傲慢な気持ちの裏で、
いつしか男の優しさが見えなく、ぼやけてしまうとき、
女は男のもとを去ってゆく。
でも、男を忘れられないほどの「恋」をしている自分が、
やはり、そこにはいる。
この歌は一見して、女性から男性への詩である。
だが、実は女性言葉に置き換えた男性の心の詩ではないだろうか?!
女性というものは、
新しい恋愛を得る時、また得た時、
ときには懐かしく想うこともあるだろうが、
おおよそ、それまでの男性はまったくの過去形となるものだ。
だが、男というものは、
言葉は悪いが「女々しい」ほど
過去であるはずの女性を自分の心の中に引きずってしまうものだ。
ある意味で男はナルシストなのかもしれない。
別れを決心した奥底に
心底愛した人を想う自分の気持ちをひしひしと感じてしまう時、
そういう自分が「優しい」と誤解し、可愛くと想えてしまう
男の「馬鹿さ加減」であり、「女々しさ」を感じる。
そんなことに共感し、
この歌をくちずさむ自分も
やっぱりエゴイスティックなナルシストなのかもしれない(@@)
愛する事に疲れたみたい 嫌いになった理由じゃない
部屋の灯はつけて行くわ 鍵はいつものげた箱の中
きっと貴方はいつもの事と 笑い飛ばすに違いない
だけど今度は本気みたい 貴方の顔もちらつかないわ
男はいつも待たせるだけで 女はいつも待ちくたびれて
それでもいいと慰めていた それでも 恋は恋
たぶん貴方はいつもの店で 酒を飲んで管を巻いて
洗濯物は机の上に 短い手紙 添えておくわ
今度生まれてくるとしたなら やっぱり女に生まれてみたい
だけど二度とへまはしない 貴方になんかつまづかないわ
男はいつも待たせるだけで 女はいつも待ちくたびれて
それでもいいと慰めていた それでも 恋は恋
男はいつも待たせるだけで 女はいつも待ちくたびれて
それでもいいと慰めていた それでも 恋は恋
それでも 恋は恋
松山千春の「恋」という曲だが、
自分がカラオケで良く歌う曲である。
恋愛というのは「男と女」の一種の駆け引きである。
どちらかが、お互いを意識しなくなった時点で
その恋愛は終止符を打つ。
自分を愛してくれている女が、
どんな時にでも自分だけを見つめ、
待っていてくれるという傲慢な気持ちの裏で、
いつしか男の優しさが見えなく、ぼやけてしまうとき、
女は男のもとを去ってゆく。
でも、男を忘れられないほどの「恋」をしている自分が、
やはり、そこにはいる。
この歌は一見して、女性から男性への詩である。
だが、実は女性言葉に置き換えた男性の心の詩ではないだろうか?!
女性というものは、
新しい恋愛を得る時、また得た時、
ときには懐かしく想うこともあるだろうが、
おおよそ、それまでの男性はまったくの過去形となるものだ。
だが、男というものは、
言葉は悪いが「女々しい」ほど
過去であるはずの女性を自分の心の中に引きずってしまうものだ。
ある意味で男はナルシストなのかもしれない。
別れを決心した奥底に
心底愛した人を想う自分の気持ちをひしひしと感じてしまう時、
そういう自分が「優しい」と誤解し、可愛くと想えてしまう
男の「馬鹿さ加減」であり、「女々しさ」を感じる。
そんなことに共感し、
この歌をくちずさむ自分も
やっぱりエゴイスティックなナルシストなのかもしれない(@@)
始めがあれば、終わりも必ずやってくる
望む望まないにもかかわらず
終わりは訪れる
喜怒哀楽を過ごした時間に
終止符が打たれるとき
人は本当の涙を流すのかもしれない
それを癒してくれるのも
時間という消しゴム
また、いつか
笑顔で逢えるときまで、、、
望む望まないにもかかわらず
終わりは訪れる
喜怒哀楽を過ごした時間に
終止符が打たれるとき
人は本当の涙を流すのかもしれない
それを癒してくれるのも
時間という消しゴム
また、いつか
笑顔で逢えるときまで、、、
どんな甘いささやきよりも
どんな優しい言葉よりも
わたしは
ただ、
私をしっかりと受け止めてくれる
愛が欲しいの
好きだよ
愛しているよ
なんて、甘い言葉はいらない
わたしは
ただ、
私をしっかりと包んでくれる
幸せが欲しいだけ
あなたなんか、偽善者!
あなたなんか、見せかけじゃない!
あなたなんか、
あなたなんか。。。
どんな優しい言葉よりも
わたしは
ただ、
私をしっかりと受け止めてくれる
愛が欲しいの
好きだよ
愛しているよ
なんて、甘い言葉はいらない
わたしは
ただ、
私をしっかりと包んでくれる
幸せが欲しいだけ
あなたなんか、偽善者!
あなたなんか、見せかけじゃない!
あなたなんか、
あなたなんか。。。
言葉がひとり歩きする
自分の思っている事と違った思いが
人を傷つけ、人を悲しませる
短かな言葉たちの
大きな重さに気付いたときには
もう手遅れ
どんなに言葉を選んで、
どんなに気持ちを込めても
心の想いを
100%伝えることは出来ない
言葉がひとり歩きをする
自分の想いに逆らうように
自分の思っている事と違った思いが
人を傷つけ、人を悲しませる
短かな言葉たちの
大きな重さに気付いたときには
もう手遅れ
どんなに言葉を選んで、
どんなに気持ちを込めても
心の想いを
100%伝えることは出来ない
言葉がひとり歩きをする
自分の想いに逆らうように
記憶を失ってゆく、、、
「私の頭の中の消しゴム」「明日の記憶」など、若年性アルツハイマーの映画やドラマが多くなっている。
人は年齢とともに脳の萎縮が始まるのだが、
記憶を失ってゆくこと。
その人の生きてきた記憶という時間が失われてゆく。
お互いの瞳を見つめあいながら、
愛を感じ合いながら、一緒に過ごしている今という時間が
次の瞬間、忘れ去られてしまったなら、、、
その人を愛しているあなたは耐えられるだろうか?!
いま、その人を愛している自分自身を完全否定されてしまうのである。
考えたこともないが、きっと、想像を絶する事象なのだろう。
人はある意味では孤独である。
この世にひとりで生を受けて、この世を去るときもやはり、ひとりである。
だからこそ、いまという時間を大切に、いま目の前にいる人との触れ合いを大切に生きること。
もし、愛する人が記憶を失ってゆくとき、その失われてゆく記憶の片隅に、ちっぽけな思い出として残れたなら、どんなに幸せだろうかと思う。。。
「私の頭の中の消しゴム」「明日の記憶」など、若年性アルツハイマーの映画やドラマが多くなっている。
人は年齢とともに脳の萎縮が始まるのだが、
記憶を失ってゆくこと。
その人の生きてきた記憶という時間が失われてゆく。
お互いの瞳を見つめあいながら、
愛を感じ合いながら、一緒に過ごしている今という時間が
次の瞬間、忘れ去られてしまったなら、、、
その人を愛しているあなたは耐えられるだろうか?!
いま、その人を愛している自分自身を完全否定されてしまうのである。
考えたこともないが、きっと、想像を絶する事象なのだろう。
人はある意味では孤独である。
この世にひとりで生を受けて、この世を去るときもやはり、ひとりである。
だからこそ、いまという時間を大切に、いま目の前にいる人との触れ合いを大切に生きること。
もし、愛する人が記憶を失ってゆくとき、その失われてゆく記憶の片隅に、ちっぽけな思い出として残れたなら、どんなに幸せだろうかと思う。。。
きょうは暑い一日だったらしい。
らしい?!
そう、暑くても汗をあまりかかない体質なので、、。
この時期、30度を超える真夏日は気象庁予報以来47年ぶりの更新なのだとか。
5年9ヶ月ぶりに、銀座4丁目に戻ってきた。
スタッフも当時そのままに気心知れた連中である。
思えば、18年3ヶ月を過ごした古巣に戻ってきたのである。
善き時代を生きてきたことは過去であり、苦しい時代を生きてきたこともそれもまた、過去の産物である。
過去を振り返り、反省をしたり、感慨にふけることも時には必要である。
でも、いつも前を向いて生きていきたいと思う。
一度きりの人生だから、「今」という瞬間は二度と戻っては来ない。
「人は生を受けた瞬間から、死という終わりに向かっている」
だからこそ、一瞬一瞬を大切に、人との触れ合いを大切に生きていきたい。
明日の自分はこの世にいないかもしれないのだから。。。。
らしい?!
そう、暑くても汗をあまりかかない体質なので、、。
この時期、30度を超える真夏日は気象庁予報以来47年ぶりの更新なのだとか。
5年9ヶ月ぶりに、銀座4丁目に戻ってきた。
スタッフも当時そのままに気心知れた連中である。
思えば、18年3ヶ月を過ごした古巣に戻ってきたのである。
善き時代を生きてきたことは過去であり、苦しい時代を生きてきたこともそれもまた、過去の産物である。
過去を振り返り、反省をしたり、感慨にふけることも時には必要である。
でも、いつも前を向いて生きていきたいと思う。
一度きりの人生だから、「今」という瞬間は二度と戻っては来ない。
「人は生を受けた瞬間から、死という終わりに向かっている」
だからこそ、一瞬一瞬を大切に、人との触れ合いを大切に生きていきたい。
明日の自分はこの世にいないかもしれないのだから。。。。
ガラス窓を伝う雨
それは、わたしの涙のよう
流れる跡に
ぼやけた風景がにじんでいる
雨音におびえ、ただ震えるばかり
あたたかい部屋なのに、外の寒さが忍び寄る
どんよりとした空の向こうに
青空は覗いているのでしょうか
流れさる雨雲の向こうに
未来は待っているのでしょうか
優しさという大きな傘で
あなたはわたしをつつんでくれるでしょうか...
http://home9.highway.ne.jp/rienosuk/index-kokoro%20no%20fuukei.html
それは、わたしの涙のよう
流れる跡に
ぼやけた風景がにじんでいる
雨音におびえ、ただ震えるばかり
あたたかい部屋なのに、外の寒さが忍び寄る
どんよりとした空の向こうに
青空は覗いているのでしょうか
流れさる雨雲の向こうに
未来は待っているのでしょうか
優しさという大きな傘で
あなたはわたしをつつんでくれるでしょうか...
http://home9.highway.ne.jp/rienosuk/index-kokoro%20no%20fuukei.html
日曜日を挟んではいたが、五日連続の飲み会から解放された。
毎日、24時ぐらいの帰宅になり、かなり疲れもピークだった。
お互いの意地の張り合いではあったが、まずは痛み明けというところか。。。
飲んでその人なりを理解し合うということもある。
飲まない人とはそれなりに理解し合えるが、お酒というのは
その飲み方にもその人となりを伺いしれるものである。
普段は厳しい人も、飲んでいるときはけっこう、優しい声をかけてくれたり励ましてくれたり。
奥底の心までは読めないが、本心というのは言葉で表せるほど正直に表現出来るものでもないだろう。
言葉というのは共通した意味を持ってはいるが、その言葉の意味を感覚として捉えているだけであって、言葉の奥底にある本心をhの一部を表現しているだけでしかない。
ひとりひとりの顔があるように、言葉にもひとりひとりの顔がある。
微妙に違う顔を同一の言葉を通して、コミュニケーションするのが言葉だ。
ときおり、その人の心を取り出して言葉の後ろに見え隠れする本心を覗いてみたいと思うのは自分だけだろうか。。。。
毎日、24時ぐらいの帰宅になり、かなり疲れもピークだった。
お互いの意地の張り合いではあったが、まずは痛み明けというところか。。。
飲んでその人なりを理解し合うということもある。
飲まない人とはそれなりに理解し合えるが、お酒というのは
その飲み方にもその人となりを伺いしれるものである。
普段は厳しい人も、飲んでいるときはけっこう、優しい声をかけてくれたり励ましてくれたり。
奥底の心までは読めないが、本心というのは言葉で表せるほど正直に表現出来るものでもないだろう。
言葉というのは共通した意味を持ってはいるが、その言葉の意味を感覚として捉えているだけであって、言葉の奥底にある本心をhの一部を表現しているだけでしかない。
ひとりひとりの顔があるように、言葉にもひとりひとりの顔がある。
微妙に違う顔を同一の言葉を通して、コミュニケーションするのが言葉だ。
ときおり、その人の心を取り出して言葉の後ろに見え隠れする本心を覗いてみたいと思うのは自分だけだろうか。。。。
手紙、電話、、、そしてメール。
手紙。
それは白い紙の上に自分の想いを書き綴り、文字という言葉でその想いを伝える手段だ。
時として、返事は届かないこともある。
電話。
相手の声を意識しながら、手紙よりも直接的に自分の想いを伝えられる手段。
時として、相手の声の響きに一喜一憂してしまう。
メール。
手紙よりも早く、電話より間接的に自分の想いを伝えられる手段。
時として、タイムリーに届かないメールに意気消沈してしまう。
手紙には手紙の良さ。
電話には電話の良さ。
メールにはメールの良さがある。
どれを選択するかは人それぞれだが、現代は「メール」という手段がその想いを伝えることが多い。
自分の言葉を文字という媒体に変換して、相手に伝える「メール」
真実をそのまま伝えられることもあるが、意に反し、時として、その想いとは異なった異質な気持ちとして相手に伝わってしまうこともある。
その誤解を氷解するには、どんな言葉の積み重ねも単なる言い訳にしか過ぎないことが多い。
「想い」というのはお互いを見つめ合い、肌のむくもりを身近に感じながら、真摯に伝わるものなのかもしれない。
自分の「心象風景」を伝えることが出来たなら、、、
手紙。
それは白い紙の上に自分の想いを書き綴り、文字という言葉でその想いを伝える手段だ。
時として、返事は届かないこともある。
電話。
相手の声を意識しながら、手紙よりも直接的に自分の想いを伝えられる手段。
時として、相手の声の響きに一喜一憂してしまう。
メール。
手紙よりも早く、電話より間接的に自分の想いを伝えられる手段。
時として、タイムリーに届かないメールに意気消沈してしまう。
手紙には手紙の良さ。
電話には電話の良さ。
メールにはメールの良さがある。
どれを選択するかは人それぞれだが、現代は「メール」という手段がその想いを伝えることが多い。
自分の言葉を文字という媒体に変換して、相手に伝える「メール」
真実をそのまま伝えられることもあるが、意に反し、時として、その想いとは異なった異質な気持ちとして相手に伝わってしまうこともある。
その誤解を氷解するには、どんな言葉の積み重ねも単なる言い訳にしか過ぎないことが多い。
「想い」というのはお互いを見つめ合い、肌のむくもりを身近に感じながら、真摯に伝わるものなのかもしれない。
自分の「心象風景」を伝えることが出来たなら、、、